文京区「播磨坂」の桜並木

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茗荷谷駅から春日(かすが)通りを右へ進むと、大きな交差点にぶつかります。そこが播磨坂です。
戦後の区画整理でできた「環状3号線」の一部として整備された時、江戸時代、この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられたと言われます。
松平播磨守は、徳川光圀の弟を藩祖とする常陸府中藩(ひたちふちゅうはん)の藩主でした。常陸国は、現在の茨城県石岡市です。
また一説に、坂の下には、千川が流れる低地があり、その一帯の田んぼが「播磨田んぼ」と呼んでいたいたから坂道を「播磨坂」と名づけたとも言います。切り絵図に「上水」と書かれた川(千川)が流れていて、「播磨田んぼ」と呼ばれていた”田”が千川に沿って広がっています。

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昭和35年(1960)に坂の舗装が行われた際、当時の花を植える運動の一つとして桜の木約150本が植えられました。
桜は、地元の人々の手で育てられ、多くの花見客を集めて都内の桜の名所として知られるようになりました。現在、桜は130本ということです。

南西側の端は国道254号線(春日通り)との「小石川五丁目」交差点です。

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北東側の端は都道436号線との「植物園前」交差点(すぐ北側に東京大学大学院理学系研究科附属植物園があるため)のところです。

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その両者を繋いで500メートルほどの長さの「播磨坂」です。
地形的には「植物園前」側が低く、「小石川五丁目」側が高く、緩やかな坂道になっています。

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広い通りの真ん中には中央分離帯を兼ねた遊歩道が整備されていて、遊歩道の中には小川も設けられています。
この通りの両脇の歩道と中央の遊歩道とに、三列に桜並木が続きます。
播磨坂の遊歩道は中央部の「播磨坂桜並木」交差点で途切れ、東西に分かます
西側(坂を登った方)は「洋風ゾーン」として西洋風に整備し、
東側(坂を下りた方)は「和風ゾーン」としてせせらぎなどを設けて和風庭園風に整備されているようです。

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右側に水が流れています。

遊歩道には三体の彫刻作品も展示されています。写真は佐藤忠良の作品です。

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昭和46年から開催されていた「文京さくらまつり」は、コロナ禍で、本年は中止になりました。すてきな桜並木でした。