小石川の林泉寺にある「縛られ地蔵」

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小石川の林泉寺にある「縛られ地蔵」

「お地蔵さん」めぐりもしてみたいと思っています。
茗荷谷駅の近くの林泉寺は、慶長7年(1602)伊藤半兵衛長光の開基、通山宗徹を開山として創設された曹洞禅宗のお寺です。
初めは普蔵院と号しましたが、寛文3年(1663)に林泉寺と改められました。
文政の頃は境内拝領地1685坪の広さがあったそうです。
境内には縄で縛られた石仏があり、俗称「縛られ地蔵」といい、江戸中期に著された「江戸妙子」には、小日向林泉寺の縛られ地蔵は大変有名であると書かれています。
「しばり地蔵」ともいわれるようですが、開基の伊藤半兵衛長光が両親の供養のために寄進したと伝わります。
33世林泉寺住職江田和雄和尚によると「寺社奉行が町民の不満対策のために地蔵を縛らせることで解消させようとした」と推測しています。
江戸砂子には、願掛けのために地蔵を縛り、願いが叶ったらほどくと言われているとに書かれているようです。
林泉寺は、何年か前に改装されたようで、きれいになっていました。
そして、新旧の「縛られ地蔵」がありました。旧来の「縛られ地蔵」は400年もたっていてもろくなっているのでさわらないでくださいの注意書きがありました。

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400年まえからの「初代縛られ地蔵」

荒縄で縛られていますが、ネットの写真でみると、ビニール紐で縛られていたのもありました。さすがに風情もないし、ビニール紐は取り払われたのでしょう。
お地蔵さまを縛っている縄をよく見ると、5円玉がついていました。

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新しい「縛られ地蔵」。よく見ると、5円玉が光っています。


東京都内で「しばられ地蔵」として有名なのは、水元公園の近くにある南蔵院の「しばられ地蔵」です。
こちらの「しばられ地蔵」は大岡政談に出て来ます。
日本橋の呉服屋の丁稚がお地蔵様の前で居眠りをしていて、反物を盗まれ訴え出ます。
南町奉行大岡越前守は「犯行現場のそばにいながら、悪事を見逃すとは、地蔵も同罪」ということでお地蔵さんに縄をかけ、江戸市中を引き回し奉行所へと向かいました。
そうしたら物見高い野次馬が奉行所へとなだれ込んで来ました。大岡越前守は「許可なく奉行所へ入るとは、不届き至極。罰として反物一反の科料を申し付ける!」。
後日、集まった反物の中に盗まれた反物があり、犯人は捕まって一件落着したといったお話です。

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光林寺の縛られ地蔵の案内に、南蔵院の「大岡政談」のことも書かれていました。

また、南品川の願行寺にも「縛り(縛られ)地蔵」がおいでになるようです。
それらの「縛られ地蔵」にも、一度お参りしてみようと思っています。