長安寺の「火防地蔵」・四面石柱の「六地蔵塔」。

f:id:ktuyama:20210414105253j:plain

長安寺境内にある火防地蔵の堂宇

長安寺は新宿区の信濃町にある浄土宗のお寺で山号深谷山。外苑東通り左門町信号を西に入ったところです。
長安寺は、天正15年(1587)心蓮社利貞上人が市谷本村町に創建。市谷本村町尾張徳川家の御用地とされたため明暦2年(1625)信濃町の地に移されました。
本堂の左前に小さな堂宇があり、その中に四面石柱と駒形の石板が納められています。駒形の石板には「火防地蔵」と大きく刻まれています。
堂宇の上の板には、案内があり、次のように記されています。

f:id:ktuyama:20210414105443j:plain

「弘化2年(1845)1月24日に起こった青山大火災(現明治記念館付近より出火)のおり、この寺の門前にあった地蔵尊の前で火勢が止まり、それにより当寺門前はもちろん四谷方面が火災から免れた。以来「火防地蔵」と呼ばれるようになった。なお現在の火防地蔵はこの災害の供養のため、弘化3年(1846)に造られたものである。」
左が四面石柱の「六地蔵塔」です。
長安寺に入る所に、六地蔵塔」の案内があります。

f:id:ktuyama:20210414105537j:plain

長安寺入り口に立つ「六地蔵塔」の案内

四面石柱は総高105.5cm、幅37cmで1面に2体ずつの地蔵立像が刻まれていて左右合わせて3面で六地蔵となっています。
裏面には銘が入っていると思われますが、見ることができません。
記録によると弘化2年の青山の大火の犠牲者を弔うため、翌年の弘化3年(1846)10月に建立されたとあります。

f:id:ktuyama:20210414110610j:plain

六地蔵塔 左面と正面

f:id:ktuyama:20210414110720j:plain

六地蔵塔 正面

f:id:ktuyama:20210414112745j:plain

六地蔵塔 (あまり写せてない)左面と正面

像容は正面が合掌と宝珠に錫杖の姿、右面が数珠と幢幡の姿、左面は壁で見難いのですが柄香炉と宝珠の姿と思われます。
石柱より一回り大きい駒形の石板には「火防地蔵」と大きく刻まれています。
「青山火事」は、弘化2年1月24日(1845年3月2日)丑の中刻(午前1時40分~午前2時20分)に、現在の港区元赤坂二丁目2番西辺、北青山一丁目あたりに「鼠穴」と呼ばれた場所があり、そのあたりの権田原三軒家町(青山権田原続き三軒長屋武家地)から出火した火災が北西の風に煽られて麻布、白金、高輪の海辺まで広がりました。
この火事による被害は大名屋敷115カ所、旗本屋敷285カ所、寺院187カ所、町屋126軒が焼失し、800~900人が焼死したとされています。この火事はその火元に由来して「青山火事」と呼ばれています。
また火元の土地から「鼠穴の火事」そして、また「六道火事」と呼ばれるということですが「六道火事」は、長安寺の「六地蔵塔」からきているのでしょうか。