亀戸香取神社と亀戸大根

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亀戸香取神社

亀戸駅から行けば、亀戸天神社より少し手前に鎮座する、参道に商店街を持つ神社が亀戸香取神社です。
社伝によれば天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国に下向した際、香取神宮の御分霊を勧請したことに始まります。
藤原秀郷平将門追討の際に戦勝を祈願し、乱の鎮定後、弓矢を奉納しました。「勝矢」と名付けられています。
これに因んで5月5日には勝矢祭が開かれています。

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第一鳥居の上に、弓矢がある。

下の写真は本殿脇にあった、白血病による長期療養から復帰した池江璃花子さんの応援

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そういう関連で、古くから武道の神として尊崇され、近年ではスポーツ振興の神として信仰を集めています。
境内に入ると「亀戸大根之碑」がすぐ目に入ります。

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「亀戸大根之碑」

亀戸香取神社の「亀戸大根之碑」は迫力があります。丁寧な案内になっています。

亀戸大根は江戸時代も末期の文久年間(1861~64)頃にこの付近で栽培が広がったということです。
秋から冬に種をまいて早春に収穫となる亀戸大根は、当時は他に大根などの全くない時期で、新鮮な野菜の出始めの頃なので根も葉も共に浅漬けにして美味しいことから、大いに重宝がられました。

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明治38年(1905)創業、亀戸の老舗「亀戸 升本 本店」の前にと亀戸大根が飾ってありました。大きさは30センチ近くで、細く、短く、先がくさび状に尖っているのが特徴です。
明治の頃はさかんに栽培されていて、多くの福をもたらすと言い伝えられ、別名「福分け大根」と呼ばれていました。
大正初期に産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。
しかし、亀戸で宅地化が進んだ大正時代の終り頃から産地は江戸川区小岩や葛飾高砂などに移っていきました。
しかし、原産地であるということで、亀戸も「亀戸大根」で頑張っています。
亀戸大根の銘鈑がよく目に入ります。亀戸香取神社の周りにもたくさんあります。

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亀戸大根で表現した「亀戸」の銘鈑

毎年3月初旬に亀戸香取神社では、亀戸大根の収穫を祝ってご来場者に亀戸大根を無料でお分けする「福分け祭り」を開催しています。当日は亀戸大根の配布はもとより、亀戸大根とアサリの入った味噌汁などもいただけるようです。

そして老舗料理店「亀戸 升本 本店」も、名物「亀戸大根あさり鍋」をはじめとしたオリジナルの「亀戸大根料理」が頂けるお店です。

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亀戸升本本店 入り口前

私は、今回、ランチの「亀戸大根あさり鍋・麦菜飯・亀戸大根3種盛り・季節の小鉢・甘味」を頂きました。おいしかったです。
それから、4月12日の朝日新聞に「JR亀戸駅の線路脇では、地元名産の江戸野菜『亀戸大根』が駅員によって栽培されている。」と出ていました。

「本来の業務ではないが活動は20年近くになる。異動で駅員が代わっても、毎年数本の大根を実らせているという。
大根づくりは線路脇の敷地で。1メートル四方の植え込みを設け、毎年秋に種をまき春に収穫している。地元の名産をPRしたい商店主ら有志の取り組みに、当時の亀戸駅長が賛同し栽培することを提案した。管轄するJR東日本千葉支社によると、同支社内で野菜を栽培するのは亀戸駅だけだという。」(4月12日の朝日新聞の記事より)

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行ってみました。駅のホームからの写真です。駅員によって栽培されている「亀戸大根」。札には「亀戸大根 かめの会」とあります。

JR亀戸駅だけではなく、亀戸校区の4つの小学校の児童も栽培に協力しているのだそうです。江戸東京野菜の活動です。