常盤橋門跡・渋沢栄一の銅像

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重要文化財江戸城写真帖「常盤橋門」東京国立博物館

常盤橋門は、江戸五口のひとつ奥州道の出口で、江戸時代を通して江戸城の正門である大手門へ向かう外郭正門でした。寛永6年(1629)に設置され、江戸城外郭の正門として重要な役割を果たしていました。高麗門と渡櫓門からなる枡形門で、門の前には木橋が架かっていました。
明治時代になると、東京の近代化の象徴として、城門に架かる木橋は石橋に架け替えられていきました。
その中で明治10 年(1877)に小石川門の石垣石材を使って、二連アーチ石橋の常磐橋が架けられました。
西洋近代的な意匠を取り入れた最初の石橋として、当時は珍しい歩車道分離で、白い大理石の親柱や花崗岩による路面、洒落たデザインの高欄手摺柵など、文明開化の面影を残した橋でした。架橋当時から錦絵や絵葉書などに登場する東京の名所となっていました。
そして、平成23年(2011)、東日本大震災により大きなダメージを受け、アーチ輪石の変形や、路面の陥没などがあり、落橋の危険が生じていました。そこで復旧工事開始。
解体修理を行い、様々な資料をもとに常盤橋門の形や創建当時の石橋の面影を取り戻す工事を行ってきました。今年、2021年3月31日までの復旧工事でした。

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続いて現在、その復旧工事の資材仮置場などに利用されていた常盤橋公園の整備が行われています。すべて完了するのは今年の夏以降になるということです。
常盤橋公園は、江戸城の城門の一つ常盤橋門があったところです。

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常盤橋公園 渋沢栄一銅像があります。銅像は見ることができます。

昭和8年(1933)に財団法人渋沢青淵翁記念会(現在の渋沢栄一記念財団)によって復旧整備が行われ、旧東京市の公園(現在は千代田区立公園)となりました。残された城門の石垣は国の史跡に指定されています。
この公園の中で、ひときわ目をひくのが渋沢栄一銅像です。

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像は日本で初めての銀行、第一国立銀行の方向を向いて立っています。銀行は栄一により1873(明治6)年、海運橋のたもと日本橋兜町東京証券取引所の隣接地に設立されましたた。
銅像が建てられたのは栄一の三回忌にあたる昭和8年(1933)ですが、計画は昭和3年(1928)渋沢栄一の米寿祝賀会で提起されました。
銅像隣に書かれた碑文を読むと、戦争中に金属供出のため撤去され、戦後再建の声が上がり、昭和30年(1955)に各界有志により建てられて東京都に寄付した、とあります。
台座は残っていて、銅像朝倉文夫による原型によって改鋳され、昭和30年(1955)に再建されたようです。
台座前面の題字「青淵澁澤榮一」は、渋沢栄一ご本人の筆蹟です。

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左のビルの方向に、2027年には地下4階・地上63階建て高さ約390mのタワーが建ちます。