錦糸町北口 錦糸公園・千種稲荷神社

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錦糸町駅界隈 広い公園・錦糸公園

錦糸町駅に下りてみました。
昔、映画を見に何度か来たことがありますが、そのころは、いわゆる下町風のごたごたした、賑やかさがあった。
今は、すっきりとした都会になっています。亀戸周辺と共に東京都により「東京副都心」に定められているようです。
錦糸町駅の北口から少し歩くと、錦糸公園があります。
行った日は、コロナ感染で、3回目の緊急事態宣言が出た日でしたが、たくさんに人がくつろんでいました。

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錦糸公園は、元々は帝国陸軍の陸軍糧秣厰(兵員の食糧や軍馬の餌などを備蓄する所)でした。
大正12年(1923)に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として、隅田公園、浜町公園と並んで災害時の避難場所を兼ねた3大公園として開設された公園です。
昭和3年(1928)7月に開園されました。
戦時中は空襲からの避難所として、また、戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用されていました。昭和20年(1945)の東京大空襲では1万余の遺体が当公園に仮埋葬されています。
昭和20年(1945)3月13日、囚人141人で組織された「刑政憤激挺身隊」が錦糸公園付近の累積死体処理に初出動し、1穴200体収容の大穴10個をつくり、トラックで搬入された約13,000体の遺体が仮埋葬されたのです。
仮埋葬は都内の主な公園、寺院、学校などを使って行われましたがこの、錦糸公園の13,000体という数は、仮埋葬地の中でも最大級の数字です。
昭和23年(1948)から約3年かけて、仮埋葬された遺体を再び掘り起こし東京都慰霊堂に納骨する作業が行われています。
戦後は人々の憩いの場として使われるようになり、次第に体育館や噴水池などが整備されて行き、園内には体育館のほか、野球場やテニスコートまであり、現在のような大きな憩いの公園になってゆきました。

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また、公園の北側には精工舎(SEIKO)の工場があったのですが、再開発によりショッピングモールやシネマコンプレックスオフィスビルやマンションから成る複合商業施設「オリナス」があります。

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千種稲荷神社

錦糸公園の駅側にお稲荷さんがあります。千種稲荷神社です。
丁寧な、由緒書きが貼ってあります。概略記してみます。
「かつて、横十間川の西側に位置するこの地域は、柳島村と呼ばれ、湿地帯であり荒廃のままになっていましたが、寛文から延宝の20年間(徳川4代将軍家綱の時)、治水を目的として土木工事が行われました。さらにその後、武家下屋敷の敷地として整地を行い、当時舟運の盛んな横十間川のあたりは、武家屋敷が川の両側に軒を連ねてるようになります。あわせて、商家の営業も地域内に許可されて行きました。
そして、千種稲荷神社はこの地域(柳島村)の守護神として祭られていたものと伝えられて居ります。
その後、明治時代になって武家下屋敷も解体されてしまいますが、この稲荷神社は、郷土の守護神として残されました。
その後陸軍糧秣廠本所倉庫がこの地に建設された際、敷地整地に際し、この稲荷神社を取り払ったところ、再三火災が発生しました。

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そこで稲荷社を旧位置に再建して祀りました。すると不思議にも、その後火災はまったくなくなりました。
大正⒓年(1923)の震災でも稲荷神社は少しの被害も受けませんでした。
昭和20年(1925)3月10日の空襲にもこの稲荷社は少しの被害もなく多くの人が境内に避難し戦火を免れました。

昭和29年(1954)千種講世話人の人たちによって、戦後荒廃した稲荷社の整備計画が建てられ、その年より、玉垣、鳥居、参道、水屋、石燈籠、本殿の増改築工事を行いました。昭和30年(1955)5月18日、建物一切を東京都の申し出により、都に寄贈し、保存と管理を千種講が委任されました。
昭和40年(1965)4月から墨田区の公園の一部となりました。」
千種稲荷神社については、その名前の由来もわかりません。

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手水舎 小さなお狐さまがいらっしゃる。

昭和29年(1954)千種講世話人の人たちによって、戦後荒廃した稲荷社の整備計画が建てられ、その年より、玉垣、鳥居、参道、水屋、石燈籠、本殿の増改築工事を行いました。昭和30年(1955)5月18日、建物一切を東京都の申し出により、都に寄贈し、保存と管理を千種講が委任されました。
昭和40年(1965)4月から墨田区の公園の一部となりました。」
千種稲荷神社については、その名前の由来もわかりません。
ただ、手水舎の狐が可愛かったです。

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右のお狐さまには、おっぱいがありました。

境内の狐さまは、金網に込められていて、少しかわいそうでした。

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