八百屋お七ゆかりの大円寺・「ほうろく地蔵」

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大円寺は慶長2年(1597)の開創で、はじめ神田柳原にありましたが、慶安2年(1649)現在地に移り、それから「駒込大円寺」と呼ばれています。墓域には、幕末の先覚者であり砲術家高島秋帆、明治時代の小説家・評論家の斉藤緑(1868~1904)の墓があります。

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大円寺の門から見られるほうろく地蔵のお堂

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ほうろく地蔵のお堂と横には庚申塔

この大円寺に、ほうろく地蔵があります。ほうろく(焙烙)は「ごまなどを煎るための素焼の土鍋」です。そのほうろくを頭にかぶったお地蔵さまです。

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お七の大罪を救うため、熟せられた(ほうろく)を頭に乗せ、お七の身代わりとして、焼かれる苦しみに耐える地蔵として安置されたものです。享保4年(1719)渡辺九兵衛という人がお七の供養にと寄進したお地蔵様です。
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ほうろく地蔵は、頭痛・眼病・耳・鼻の病など首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として有名になりました。
ほうろく(焙烙)は1枚2000円。患部や願いを書いて供えます。
▼中国の殷の時代、「ほうろくの刑」とよばれる残虐無比な刑罰がありました。
炎の上に、油を塗った銅板をおき、罪人を歩かせるというものです。
熱いから飛び跳ねます、その姿が焙烙ではじけるゴマなどに似ていることで、ほうろくの刑と称されたとか。
▼火で焼かれる刑は、日本では、火あぶりの刑です。
そこから来たのかどうか、お七の罪業を救うため、熱したほうろくを頭に被り、自ら灼熱の苦しみを受ける、そういうお地蔵さまが、ほうろく地蔵です。
ほうろく地蔵のまわりにはほうろくが多数奉納されています。
現在では首から上の病気平癒のご利益があるとのことで、ほうろく地蔵尊の前には病気の名前が書かれたたくさんのほうろくが重ねられています。

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永井荷風は『日和下駄』「第二 淫祠(いんし)」で「淫祠は大抵その縁起とまたはその効験のあまりに荒唐無稽な事から、何となく滑稽の趣を伴わすものである」とし、その例として、「芝日蔭町に鯖をあげるお稲荷様があるかと思えば 駒込には焙烙(ほうろく)をあげる焙烙地蔵というのがある。頭痛を祈ってそれが癒(なお)れば御礼として焙烙をお地蔵様の頭の上に載せるのである。」と書いています。

▼前回の圓乗寺で載せなかった八百屋お七の噺があります。落語『お七の十』です。
本郷の八百屋のお七は、恋しい寺小姓の吉三に逢いたさに放火してしまい、鈴が森で火あぶりの刑に処せられます。
吉三は悲しみのあまり吾妻橋から身を投げました。地獄で会った2人が抱き合うと、ジューという音がしました。
お七が火で死に、吉三が水で死んだから火と水でジュー! 又、七と三を足して十。
それでも浮かばれないお七の霊が、夜毎鈴ヶ森に幽霊となって現れる。
ある夜、通りかかった侍に「うらめしや~」。
武士は「恨みを受ける因縁はない」と、お七の幽霊の片足を切り落とします。
お七が片足で逃げ出したので、侍「一本足でいずこにまいる」
お七の幽霊「片足(わたし)ゃ本郷へ行くわいな」。