浅草寺の「大提灯」巡り

 

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浅草「雷門」前

◆「雷門」は、浅草のシンボルですが、大提灯「雷門」の文字が記憶に残ります。
雷門は創建以来、幾度も焼失と再建を繰り返しています。
寛永12年(1635)に建立された門が同19年(1642)に焼失したのち、徳川3代将軍家光の発願により慶安2年(1649)に再建。しかし、この慶安の雷門は明和4年(1767)に駒形町からの失火で焼失。やがて寛政7年(1795)に再建され、この頃から提灯の奉納が行われるようになりました。
寛政の雷門は、歌川広重、渓斎英泉など浮世絵師の好画題となり、今に作品が伝えられています。

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渓斎英泉 画『江戸名所尽 金龍山浅草寺雷神門之図』 大提灯の字は「志ん橋」

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歌川広重 画『浅草雷門前』 大提灯の字は「志ん橋」

浮世絵でよく見てほしいのは、大提灯の字が「志ん橋」となっています。
「志ん橋」は、その昔に新橋の人達がお金を集めて奉納したものだったからです。
浅草寺は東京で最も古い寺。庶民の寺として発展した浅草寺は、江戸時代には、浅草寺を中心として江戸随一の遊興地となっていました。
その浅草に「志ん橋」の大提灯を掲げることで、新橋のことをより多くの人に知ってもらいたいという想いが込められていました。
実はこの「志ん橋」、浅草寺において一番最初に提灯を奉納したことから、今もその奉納提灯が残っています。
そのことは後で。雷門です。
寛政7年(1795)に建てられた雷門は、幕末の慶応元年(1865)、浅草田原町からの失火によりまたまた延焼してしまいます。
この慶応の焼失より、実に95年間も雷門は再建されませんでした。
現在の門は、昭和35年(1960)に松下電器産業(現パナソニック)社長・松下幸之助氏の寄進により、再建されました。
当時、松下氏は関節痛を患っていましたが、それを聞いた当山中興第24世清水谷恭順貫首がご本尊に祈願したところ快復し、その御礼の意を込めて松下氏個人で寄進されました。江戸時代の様式を生かした造りになっています。

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「雷門」の大提灯

現在の大提灯の大きさは高さ3.9m、直径3.3m、重量約700kgです。

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提灯の下方に「松下電器」の銘 下には龍の彫り


10年に1度、外側の和紙の張り替えをされます。前回は2013年(平成25)に実施され、次回は2023年に張り替えを予定しています。
浅草の大提灯は、この「雷門」だけでなく、先に少し記した「志ん橋」、「小舟町」そして「二天門」の文字の入った全部で4つの大提灯があります。
歩く順番に行きます。
仲見世通りを過ぎると、宝蔵門(仁王門)があります。
そこには、「小舟町」と書かれた大提灯があります。
江戸時代の初期、万時2年(1659)に、鮮魚・鰹節などの扱いで財を成した小舟町の商人が信心の心意気を表し、浅草寺(現宝蔵門)に小舟町の町名を大書きした大提灯を奉納して以来350年余の伝統をもっています。高さ3.75m、重量400 kgです。

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宝蔵門「小舟町」の大提灯

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宝蔵門に並んでいる 魚河岸の銅製の提灯と「小舟町」の大提灯

神田明神の境内には小舟町の氏神の「小舟町八雲神社」が鎮座しています。4年に1度「小舟町天王祭」が行われていますが、これも当時の小舟町の財力が豊かだったことを表しています。
その横に、魚河の銘のある銅製の提灯があります。
魚河岸一帯で起きた「流行り病の祈願」のために提灯を寄進した事からのもの、ということです。この銅製の提灯がいつ作られたか分かりませんが、富山県高岡市の「梶原製作所」が製作したものです。
の宝蔵門の裏側には、「浅草名物」の仁王様の履いたと言われる「大わらじ」が掛られています。

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宝蔵門(仁王門)の大草履

高さ 4.5m・幅 1.5m、重さ 500kg、藁 2,500kg使用。山形県村山市有志より平成30年(2018)10月奉納〔昭和16年(1941)の初回以来、8回目〕わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。
◆さて、本堂です。

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本堂「志ん橋」の大提灯

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「志ん橋」の大提灯 少し下から。

浅草寺本堂の大提灯 には、「 志ん橋 」 と書かれています。江戸時代の雷門に掛かていた大提灯の「 志ん橋 」です。
こちらに来ています。大きさは高さ3.9m、直径3.3m、重量約700kgと雷門の大提灯と同じです。
◆「二天門」の大提灯 現在工事中で、拝見できません。昔の写真を借りてきました。

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             二天門の大提灯(昔の写真)

他の3つの大提灯より少し小ぶりですが、江戸時代の耐火や戦争での被災を免れて浅草で現存し、重要文化財に指定されている唯一の大提灯でということです。花街の人々が中心の東京浅草組合が寄贈されました。

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大提灯の底部には、龍の彫り物

◆「雷門」・「志ん橋」・「小舟町」・「二天門」 の大提灯全ての底には、大提灯全ての底には、龍の彫り物が一枚板に彫刻されており、龍の彫物は、木彫師 渡辺崇雲氏の制作によるものです。
龍の彫り物が一枚板に彫刻されており、龍の彫物は、木彫師・渡辺崇雲氏の制作によるものです。