浅草寺にある「銭塚地蔵尊」
■銭塚地蔵尊(ぜにづかじぞうそん)
●西宮市山口町に残る「銭塚地蔵尊」
享保年間(1716~36)に摂津国有馬郡(現在の兵庫県西宮市)に山口某という武士の妻がおり、夫とふたりの子供と暮らしていました。
貧しいながらも彼女は武士の妻としての誇りを失わず、他人からの援助を断って清貧の生活を送っていました。
ある時、子供らが庭先に埋まっていたたくさんの寛永通宝を掘り当てました。
しかし彼女は、理由のない金を自分のものにするのは恥と考え、金を埋め戻させました。
この賢い母に育てられ、子供らは立派に成長し、家が繁栄したので、子供らは金を埋めた場所に地蔵尊を祀ったと言います
●浅草寺の「銭塚地蔵尊」
その西宮の銭塚地蔵尊を勧請したのが、浅草寺の銭塚地蔵です。
商売繁昌のご利益を求めて祈願する人が多いとのことです。
堂内に六地蔵尊が安置されています。そして、このお像の下には江戸時代の貨幣「寛永通宝」が埋められているとのことです。
また、ここで、塩と線香、ローソクを購入して、お祈りする人が多いです。
●カンカン地蔵
銭塚地蔵堂の表に、そのお姿がほとんど原型をとどめていない石像が安置されています。もとは大日如来像とも伝わりますが、
現在は「カンカン地蔵」と呼ばれています。
お参りの人が石で打って祈ると「カンカン」という金属音がすることが名称の由来とされ、塩を奉納して祈願すると財福のご利益があるとされます。
●お堂の近くには、たくさんのお地蔵さまがおられます。