♪あなたと私の合言葉「有楽町で逢いましょう」♪

山本夏彦久世光彦 『昭和恋々』(清流出版 平成10年(1998)発行)という本に、2人の対談が載っています。
山本夏彦「昭和50年代までの歌には、歌詞のわからないものは一つもない。ほとんど覚えていて歌えるんです。いまの歌はみんなわからないでしょう。」
久世光彦「私にもわかりません」
山本「歌詞がわかって、曲も歌えて初めて、歌といえるのに。今の人たちは自分の歌を持ってないんですね。」

“はやり歌”を、みんなが知っているという時代がありました。それこそ、大人も子どもも、男も女も。

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有楽町マリオン前にある「有楽町で逢いましょう」の歌碑

例えば、フランク永井が歌った「有楽町で逢いましょう」です。
昭和32年(1957)に世に出た歌です。私は中学生でした。でも、惹かれてよく口すさんでいました。
実は、この「有楽町で逢いましょう」は、関西の老舗百貨店「そごう」の東京進出のキャンペーンから生まれた歌でした。。
大阪に本社を置いていたそごうは、東京へ進出にあたって、出店地候補の一つとして有楽町を検討していました。
当時の有楽町と言えば、東京の中心部としては、少し遅れていて、
闇市の面影がようやく消えていこうとしていて、人通りが増え始めていた、いわば新興の商業地でした。
その有楽町で、そごうに、読売新聞社が自社物件の読売会館を提供するという話が来ました。

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読売会館

そこで、読売会館で、昭和32年(1957)5月に開店が決まります。
しかし、当時の有楽町は、まだ焼け跡、闇市の名残もあり、デパートが目指す高級感とはかけ離れていました。
そこで、そごうは「有楽町高級化キャンペーン」を展開します。
当時ヒットしていた、アメリカ映画『ラスヴェガスで逢いましょう』にヒントを得て「有楽町で逢いましょう」というキャッチフレーズを大きく打ち出しました。
各種マスメディアとのタイアップをしましたが、中でも昭和32年(1957)4月に放送開始された日本テレビの歌番組と提携し、そごうのコマーシャルソング(キャンペーンソング)として、佐伯孝夫作詞・吉田正作曲、フランク永井唄の「有楽町で逢いましょう」を発表します。

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有楽町で逢いましょう」のレコードジャケット

昭和32年(1957)7月のことです。発売から半年で約50万枚を売り上げ、昭和33年(1958)度上半期のビクターの歌謡曲(流行歌)レコード売上で1位を記録します。

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上の写真は開店前の、新聞広告です。

「そごう」有楽町店が開店したのは、昭和32年(1957)5月25日でした。当日はあいにくの雨でしたが、約30万人が押しかけるという騒動になりました

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開店当日の様子を伝える「そごう」前の写真

この「有楽町で逢いましょう」の爆発的な展開を見て、雑誌『平凡』は、小説『有楽町で逢いましょう』(宮崎博史作)を連載します。
そして、その小説を大映が、京マチ子菅原謙二川口浩野添ひとみのオールスター・キャストで映画化しまいした。

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有楽町で逢いましょう」の映画のポスター

映画「有楽町で逢いましょう」は、昭和33年(1958)1月15日に封切られたました。
そごうの店内でロケーション撮影が行われ、フランク永井も本人役で『有楽町で逢いましょう』を歌っています。
詳しくは覚えていませんが、映画も見ました。恋人役の川口浩野添ひとみは、のちに結婚しました。
有楽町で逢いましょう』の歌で、「有楽町」の認知度は上昇し、イメージもアップしました。
歌が、街を造ったと言える好例とも言えます。

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ある意味全盛の有楽町界隈 そごうも、都庁も、日劇も、鉄道の高架もあります。

百貨店「そごう」が出たビルは、JR有楽町駅前という恵まれた立地条件でしたが、三方を道路に囲まれた三角形の狭小で不整形な敷地で、百貨店としては決して恵まれた敷地ではありませんでした。
しかし、正面入口に、天井から床に向け風を送って外気を遮断する「エア・ドア」を導入したり、昇りと下りのエスカレーターをX字型に設置するなど目新しい設備を施し話題となりました。
それから44年、
東京都庁の西新宿への移転や、経営トップの企業私物化などにより「そごう」は倒産してしまいます。

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「そごう」最後の折り込み広告

平成12年(2000)9月24日、フランクフランク永井の「有楽町で逢いましょ」』の流れるなか、閉店セールが行われ、そごう東京店は44年の歴史に幕を下ろしました。

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現在はビックカメラが入っている、かつての「そごう」のビル。

現在は大型電器店ビックカメラ」になっています。
外装はそごう時代のままです。三方を道路に囲まれた三角形で残っています。

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そして、有楽町駅前の再開発が行われ、平成19年(2007)10月には、丸井などの入店する「有楽町イトシア」が開業しました。
有楽町イトシアは、丸井を核店舗とするオフィスペースを兼ね備えた複合商業施設です。
「 イトシア(ITOCiA)」という名前の由来は「愛(いと)しい + ia(場所を表す名詞語尾)」ということですが、「有楽町で逢いましょう」の「雨も愛し」やのフレーズがヒントとなったということです。

 ♪あなたを待てば雨が降る 
  濡れて来ぬかと気にかかる  
  ああ ビルのほとりのティー・ルーム
  雨も愛(いと)しや 唄ってる
  甘いブルース
  あなたと私の合言葉「有楽町で逢いましょう」♪

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有楽町マリオンを抜けて、有楽町マリオン前の植栽の中に「有楽町で逢いましょう」の歌碑があります。
平成21年(2009)5月、『有楽町で逢いましょう』発表から50年が経ったことを記念して、ここに歌碑が設置されました。

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石碑は縦横約1メートルで、雨水の「水たまり」の形と表現しています。
フランク永井の出身地の宮城県産の伊達冠石で造られているそうです。