人形町の大観音寺、御本尊「鉄造菩薩頭」の御開帳

毎月17日は、「鉄造菩薩頭」の御開帳があるということで、人形町駅の近くにある「大観音寺」へ行ってみました。「大観音寺」の読み方は「だいかんのんじ」ではなく「おおかんのんじ」ということです。

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人形町「大観音寺」

 

本堂は石段を上がった2階です。
 その石段の横に、案内があります。
「大観音寺には、本尊である鋳鉄製の菩薩頭(総高170cm、面幅54cm)が安置されています。頭頂部のみは後に補修され鋳銅製。頭上には高さ53cmの高髻(こうけい)があり、後補である鋳銅製蓮華座の台座上に祀られています。
この菩薩頭の由来については、かつての鎌倉の新清水寺に祀られていた鋳鉄製の観音菩薩像でしたが、廃寺となった後、江戸時代に頭部のみが鶴岡八幡宮前の鉄井(くろがねのい)から掘り出されたと伝わっています。
その後、明治初年の神仏分離の令に際して鎌倉から移され、大観音寺に安置されました。以後、本尊として今日に至っています。本尊は、毎月11日・17日のみ開帳され、信仰を集めています。
この菩薩頭は、中世造立になる関東特有の鉄仏のうちでも、鎌倉時代製作の優秀な作品であることから、
昭和47年4月、東京都指定有形文化財に指定されています。
  平成30年3月                 中央区教育委員会

鎌倉の「新清水寺」は、北条政子が、京都清水観音に帰依することで、鎌倉に「新清水寺」を創建したのだそうで、「哲造観世音菩薩」はその御本尊だったということです。その後、火災にあったりして「新清水寺」は廃寺になり、この像も行方が解らなくなっていたようです。
明治の廃仏毀釈 で、由比ヶ浜に捨てられる所を、人形町の住人が持ち帰ったということです。それが明治9年のことです。「鉄造菩薩頭」と呼ばれています。
「鉄造菩薩頭」が安置されている大観音寺は明治13年に建立されました。

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本堂に上がらせてもらいました。
これは本堂の中の写真ですが、御前立観音像のその奥に「鉄造菩薩頭」は、祀られています。

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暗いし、ほとんどわかりません。
鋳鉄製の像で、高さ170センチ、面幅54センチ。つまり、巨大な頭部の像ですが、鎮座されています。
意識して観ると、少しその存在が見られるように思えます。
本堂前には、「願いの地蔵尊」とか、「韋駄天」などが鎮座されています。

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「願いの地蔵尊

 

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「韋駄天」

 

市民マラソンが盛んで、「韋駄天」お参拝は多いようです。
東京マラソンの出発地点、新宿の都庁の近く、新宿ワシントンホテルビル正面玄関近くに韋駄天を祭った「新宿韋駄天尊」があります。
仏教における増長天八将の一神である韋駄天は、仏舎利を奪った鬼を得意の脚力で追いかけて瞬時に取り返したといわれることから、戦いや勝負事、また足と健康の神として尊ばれています。