歌が作った銀座の象徴「銀座の柳」

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風にそよぐ「銀座の柳」

 

『東京行進曲』は、昭和4年(1929)映画の主題歌として、発表されました。
1番に ♪昔恋しい 銀座の柳  ♪仇(あだ)な年増(としま)を 誰が知ろ(作詞:西條八十)と歌われます。
昭和11年(1936)にヒットした『東京ラプソディ』にも「銀座の柳」が歌われています。
♪花咲き 花散る宵も ♪銀座の柳の下で ♪待つは君ひとり 君ひとり

『東京行進曲』も『東京ラプソディ』も、どちらも「柳」が歌われています。

「銀座」と言えば柳。江戸時代から柳並木があったのだろうと思ってしまいますが、そうではありません。
銀座通りに、日本初の街路樹が整備されたのは、明治7年(1874)のことでした。
最初は松、カエデ、桜が植えられましたが、すぐに立ち枯れてしまいました。
銀座は四方を堀川に囲まれた湿地帯でした。水が多すぎると普通の木々は育ちません。そこで、水や湿気に強い柳に植え替えました。
柳は、枯れませんでした。明治10年代半ばでしたが、銀座に柳を植えました。
それが「銀座の柳」の始まりです。しかも、その柳も、銀座の街の開発や関東大震災等でなくなってゆきます。
『東京行進曲』の冒頭に、♪昔恋しい銀座の柳♪、とあるように、、昭和4年当時は「昔恋しい柳」で、銀座には柳はありませんでした。
『東京行進曲』はレコード売上記録を更新する空前の大ヒットになります。
そして、歌が流行るほどに、柳並木を懐かしむ声は大きくなり。その声に押されて、地元商店会や新聞社から900本の柳を寄贈され、
京橋・新橋間と日比谷・築地間の歩道に植えられました。
昭和7年(1932)3月には、銀座柳復活祭が催されます。この時に『東京行進曲』と同じ西條八十作詞と中山晋平のコンビで『銀座の柳』も発表されました。
こちらも映画の主題歌でしたが「♪植えてうれしい銀座の柳 ♪江戸の名残のうすみどり・・・・」
何度も書きますが、これ間違っています。銀座の柳は江戸時代にはないです。
しかし、みんな「銀座の柳」は江戸の昔からあったという深い歴史のイメージも持って「銀座の柳」は銀座の象徴的存在になって行きました。
いわば、「銀座の柳」は、歌が作った「象徴」でした。
しかし、この「銀座の柳」も昭和43年(1968)には銀座通りの改修工事などによって、街路樹としては撤去されてしまいます。
そこには、柳を懐かしむ唄が流行ることもありませんでした。
街路樹は排気ガスに強いポプラやイチイや成長が早く見栄えが良いカツラへの植え替えられました。

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銀座の柳の並木道


そうした何度かの植えられ伐られの変遷を経て、昭和62年(1987)3月には、中央区政40周年を記念して、中央区の木に「柳」が制定されます。
そして平成~令和の時野中で、西銀座通り、柳通り、松屋通り、御門通りに柳並木が蘇っていきました。

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現在、新橋駅に近い御門通りには、枝剪定で根付いた若木を昭和60年(1985)に植えて育て、銀座の柳の復活を遂げたと伝わる柳四世が風に揺れています。
柳を見ながら、新橋から御門通りを歩いてみました。