童謡「春の小川」のモデルと言われる「河骨川」の暗渠を歩く

 

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春が来たら歩いてみようと思っている童謡「春の小川」のモデルと言われる「河骨川(こうほねかわ)」の暗渠を確認しに出かけました。
河骨川は、渋谷川の源流の一つで、渋谷川に集まる前に渋谷駅近くで、宇田川に合流しています。
江戸は水の都だったと言われます。川は運輸の道でもあり、品物の運送に欠かせなく、それこそ、江戸の創生期に造られた運河を含め、川が縦横に流れていました。
もっとも、江戸時代よりもっと前から。武蔵野台地の谷間にある地形で、湧水による川がたくさん流れていました。
それが、運輸は鉄道になり、住民が増えて、川はしだいにじゃまものになってゆきます。
そうして川は埋められ、家が建ち、多くの川が消えて行きました。特に、前の「東京オリンピック」の時に川は消えました。
河骨川が消えたのも、昭和30年代でした。
それが、渋谷駅の改装で、渋谷川の一部が駅周辺で復活しました。
前のオリンピックで川を埋め、たまたまだったかもしれませんが、今回の2020オリンピックに向けて、ほんの一部ですが、復活したのです。
童謡「春の小川」が発表されたのは大正元年(1912)でした。
作詞は、国文学者の高野辰之。河骨川の源流近くの代々木3丁目に住んでいて、この小川を散歩していたとのことです。
河骨川の「河骨(こうほね)」という名前は変わっていますが、黄色い花を咲かせるスイレン科の水草で、この黄色い花が水源の池に咲いていたことからこの名前は来ています。
川は埋められ、もちろん河骨(こうほね)の花もありません。歌詞に歌われた風景も見られません。
源流の地も周りにマンションが建ち、まったくその痕跡もみあたりません。
「暗渠歩き」は「想像・空想・イメージの歩き」になると思っていますが、痕跡が少ないです。
しかし、渋谷区が電柱に「春の小川」と大きい標識を貼っていてくれているので、それをたどれば、道筋は迷わず歩けます。
「小川」をいろいろ思い浮かべながら歩きたいです。

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