歌が作った銀座の象徴「銀座の柳」

風にそよぐ「銀座の柳」 『東京行進曲』は、昭和4年(1929)映画の主題歌として、発表されました。1番に ♪昔恋しい 銀座の柳 ♪仇(あだ)な年増(としま)を 誰が知ろ(作詞:西條八十)と歌われます。昭和11年(1936)にヒットした『東京ラプソディ』にも…

恋するふたりに、雨がよく似合う。

台風16号の影響で雨が降っています。風も少し出てきたようです。今日は「有楽町」の散策をするつもりでしたが、台風来襲ということで、中止になりました。 ♪あなたを待てば雨が降る♪「有楽町」を歩く当たって、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」は一つ…

日比谷公園

ミッドタウン日比谷9階から見た日比谷公園 徳川家康が江戸入府したころ、現在の日比谷公園から有楽町駅の西側あたりまでは、日比谷入り江という深い入り江でした。家康は大工事をしてこの入江を陸地に変え、のちにその埋立地の上に大名屋敷が建てられました…

人形町通りの「からくり櫓」

人形町に来て、賑やかな人形町通りを歩くと、いつも気になるのが、「からくり櫓」です。2基あります。 ▼水天宮の近くにあるのが「からくり櫓 ― 江戸落語」です。 「からくり櫓 ― 江戸落語」 「からくり櫓 ― 江戸落語」横 「からくり櫓 ― 江戸落語」 高さは6…

人形町の大観音寺、御本尊「鉄造菩薩頭」の御開帳

毎月17日は、「鉄造菩薩頭」の御開帳があるということで、人形町駅の近くにある「大観音寺」へ行ってみました。「大観音寺」の読み方は「だいかんのんじ」ではなく「おおかんのんじ」ということです。 人形町「大観音寺」 本堂は石段を上がった2階です。 そ…

文京区小日向 「切支丹屋敷跡」

深光寺で、曲亭馬琴のお墓にお参りし、丸の内線の高架か宗四郎稲荷大明神のところ道なりに行くとそこが、蛙坂です。この蛙坂は、この坂で、蛙の合戦があったからという、面白い名前の坂です。 その先に行くと、左側に長い道があります。新道(別名 七軒屋敷…

朝倉響子作 「フィオーナとアリアン」

教育の森公園 教育の森公園は、文京区大塚3丁目にある旧東京教育大学(現在の筑波大学)の跡地に開園した公園です。その中にある令和元年(2019)にリニューアルされた文京スポーツセンターの近くに、2人の女性が座るベンチの彫刻があります。朝倉響子作 「…

『東京行進曲』と『東京ラプソディ』で見る、戦前の東京の盛り場・繁華街

また、昔の本になりますが、多田道太郎の本に『風俗学』(昭和53年・筑摩書房発行)があります。そこに「盛り場低佪」という章があり、東京の盛り場はどこか考察されています。戦前の盛り場としては、浅草、銀座、新宿があげられています。戦後はそれに、六…

心の底まで しびれるような デュエット曲の定番2つ。

西銀座デパートと「銀恋」の碑 西銀座デパート、チャンスセンターの並びの茂みに「銀恋の碑」があります。「銀恋」は「銀座の恋の物語」です石原裕次郎と牧村旬子のデュエットで、昭和36年(1961)にテイチクより発売されました。。作詞は大高ひさを、作曲は…

♪ イカすじゃないか 西銀座駅前

昭和32年(1957)百貨店そごうが開業して、集客効果を狙ったフランク永井の『有楽町で逢いましょう』が大ヒット。その翌年、5月には、フランク永井の歌う『西銀座駅前』がリリースされ、こちらも大ヒットします。7月には日活で同名タイトルの映画が公開され…

♪あなたと私の合言葉「有楽町で逢いましょう」♪

山本夏彦・久世光彦 『昭和恋々』(清流出版 平成10年(1998)発行)という本に、2人の対談が載っています。山本夏彦「昭和50年代までの歌には、歌詞のわからないものは一つもない。ほとんど覚えていて歌えるんです。いまの歌はみんなわからないでしょう。」…

明治から終戦のころまでの有楽町界隈の変貌をたどる。

明治に入り「東京」が誕生。西洋文明を積極的に吸収し、急速に西洋化・近代化が進み、丸の内・有楽町・銀座周辺は、 銀座煉瓦街の完成や市内電車の発達を通して、ハイカラな街へと変貌して行きました。明治27年(1894)丸の内(現在の有楽町駅近く)に「東京…

「数寄屋橋」の話

高速道路の高架。その下は「銀座ファイブ」です。銀座ファイブは、「数寄屋橋ショッピングセンター」より平成12年4月17日に名称変更しています。「銀座ファイブ」の向こう側に「数寄屋橋公園」があり、そこに「数寄屋橋の碑」があります。裏面に次のように…

「有楽町」と「数寄屋橋」と「南町奉行所跡」

織田有楽斎画像ー正伝永源院所蔵) ■「有楽町」という町名は、戦国武将の織田有楽斎(おだうらくさい)に由来するとされます。織田有楽斎は、織田信長の弟で本名は織田長益です。信長が本能寺の変で倒れてからは秀吉に仕え,関ヶ原の戦いでは東軍につきまし…

「日比谷」の話。

日比谷公園や、皇居の堀である日比谷堀などにその名を残す「日比谷」、地名の由来は諸説ありますが、江戸時代初期の地形と関連しています。日比谷あたりは、家康の江戸入府以前は、漁民がすむ村落でした。漁民が海苔をとり、魚をとらえるために海の中に立て…

今戸人形「福助」にまつわる話。

今戸神社(台東区今戸1-5-22) 後冷泉天皇康平6年(1063)、源頼義・義家父子が、奥州討伐の折、鎌倉の鶴ヶ丘と浅草今之津(現在の今戸)とに京都の石清水八幡を勧請したと伝わり、その浅草今之津の「今戸八幡」が「今戸神社」の創建となっています。 今戸神…

「ゴジラ」に出会った。

日比谷ゴジラスクエアのゴジラ 令和3年(2021)7月末日、テレビでオリンピック真っ盛りの時出かけ、『日比谷ゴジラスクエア』で「新・ゴジラ像」を見ました以下は、これまで、映画館以外で出会ったゴジラを整理してみます。 東京ミッドタウンの庭のゴジラ ◆…

旧浅草猿若町を歩いてみた。

広重が描いた『絵本江戸土産』の「猿若町」です。まずは、その「猿若町」について。 ■旧浅草猿若町 台東区浅草6-5-1「猿若町」の町名案内板です。「この地はその昔、丹波国(現在の京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保12年(1841)、徳川幕府は天保の…

江戸の香りを伝える「山谷堀公園」、そして今戸人形の飾り。

山谷堀公園・ 聖天橋 山谷堀公園を聖天橋から待乳山聖天まで歩きました。山谷堀(さんやぼり)公園は、かつての水路でした。正確な築年は分かっていませんが、江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造…

大根でお参りする「待乳山聖天  本龍院」

「待乳山聖天 本龍院」 隅田川、隅田公園のすぐ近くにある「待乳山聖天」は、好きな神社です。神社に「好き」というのはおかしいですが、奥浅草という感じで、奥ゆかしい思いがします。 「待乳山聖天」、正式には「待乳山本龍院」と称し、浅草寺をご本山とす…

浅草、花川戸公園の「姥ヶ池(うばがいけ)」と「助六歌碑」

歌川国芳『観世音霊験一ツ家の旧事』 諌める娘を恫喝する鬼婆が描かれています。 「姥ヶ池(うばがいけ)伝説」とか「一つ家伝説」とか「石の枕伝説」などとよばれる、一軒家に棲む老女が、宿泊する旅人をあやめて金品を奪っていたお話は、全国各地に見られま…

浅草寺にある「銭塚地蔵尊」

浅草寺にある銭塚地蔵尊の旗 ■銭塚地蔵尊(ぜにづかじぞうそん)●西宮市山口町に残る「銭塚地蔵尊」享保年間(1716~36)に摂津国有馬郡(現在の兵庫県西宮市)に山口某という武士の妻がおり、夫とふたりの子供と暮らしていました。貧しいながらも彼女は武士…

浅草寺の境内のお地蔵さん巡り

浅草寺には20体を超えるお地蔵さまがいらっしゃるるそうです。少し巡ってみます。 中央にお地蔵さま、左右には阿弥陀さま ●中央にお地蔵さま、左右には阿弥陀さま 中央のお地蔵さまは、我々衆生を苦しみから救ってくださる仏さまで、左右に奉安される阿弥陀…

浅草寺の石橋・都内最古の橋

元和4年(1618)に、浅草寺境内に東照宮が建てられた時、参道にかけられた都内最古の橋です。日光東照宮の神橋になぞられて造ったものだと言われています。 日光東照宮が出来たのは元和4年4月17日、同時に浅草寺境内にも東照宮を造り、家康を祀る東照宮を江戸…

浅草寺の「大提灯」巡り

浅草「雷門」前 ◆「雷門」は、浅草のシンボルですが、大提灯「雷門」の文字が記憶に残ります。雷門は創建以来、幾度も焼失と再建を繰り返しています。寛永12年(1635)に建立された門が同19年(1642)に焼失したのち、徳川3代将軍家光の発願により慶安2年(1…

「夜鷹」~四ツ谷の鮫ヶ橋が巣窟~

江戸切り絵図 紀州中屋敷あたり 江戸切り絵図です。鮫ヶ橋坂など、町にも「鮫ヶ橋」の名称が見られます。門の前に橋の記号と鮫河橋の名が記されています。前回の、江戸名所図絵「鮫ヶ橋」に見られる橋です。その鮫ヶ橋地域の江戸時代のお話です。▼まずは、三…

四谷さめがばし(鮫ヶ橋・鮫河橋・鮫馬が橋・雨河端)とさめかわ(鮫川・佐目川・沙美津川・櫻川)

四谷駅から歩くと迎賓館の少し先にみなみもと町公園があり、そこに交番もあります。その少し先を右に曲がると、みなみもと町公園一角とも言えるあたりに赤い鳥居が見えます。▼ブロック塀に囲まれ、鳥居には「せきとめ神」とだけ表記されています。鳥居の中に…

段ボールとブルーシートでできた2つのお城。会田誠 / 東京城 (Tokyo Castle)

明治神宮外苑 いちょう並木青山通り入口のT字路に、入口の石垣に、段ボールの「東京城」というお城が飾れている、と教えてもらい観に行きました。 段ボールでできています。そばに行くと大きいです。そしてある意味とてもきれいです。左は、ブルーシートで包…

駒形堂 、浅草寺のご本尊・聖観世音菩薩が、はじめて奉安された地に建つお堂。

浅草寺の縁起絵巻のひとこまです。檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟が、ご本尊を感得するの場面です。推古天皇36年(628)の)3月18日のことです。宮戸川(今の隅田川)のほとりに住む檜前浜成、竹成兄弟が、朝早くから漁をしていると…

浅草寺境内にある童謡「鳩ぽっぽ」の歌碑

童謡「鳩ぽっぽ」の歌碑 浅草の浅草寺境内に童謡「鳩ぽっぽ」の歌碑が建っています。滝廉太郎作曲、東くめ作詞により明治34 年(1901 )に発表されました。「鳩ぽっぽ」というので、 ♪ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ 豆がほしいか そらやるぞ みんなで仲良く食べに来い …