ピアノの形の歌碑 「ちいさい秋みつけた」

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井の頭公園にピアノを模した歌碑があります。

童謡「ちいさい秋みつけた」の歌碑です。

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歌碑には「ちいさい秋みつけた」の歌詞と楽譜も刻まれています。
平成25年(2013)生誕90周年記念に、130名以上を超す方から170万円の寄付を集め、に建てられました。
「ちいさい秋みつけた」は、サトウハチロー作詞・中田喜直作曲による童謡です。
ボニージャックスが、レコーディング、日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
小学校の音楽の教科書でも取り上げられ、だれでも知っている日本の名曲の一つです。
昭和20年代三鷹に住んでいた中田喜直が、井の頭公園を散策中に曲想を得たことにちなんで、建てられました。
サトウハチローはよく知っていますが、作曲家はあまり知りません。
しかし、「めだかのがっこう」「雪のふるまちを」と言えあ誰でも知っています。その作曲家です。
中田喜直<なかだ よしなお、本名中田喜直(字は同じで下の名前の読みが「よしただ」)大正12年(1923)8月1日 - 平成12年(2000)>
「歌曲、ピアノ曲など作った曲は3000近くになる」そうです。
大正12年、『早春賦』で知られる音楽家・中田章の息子として東京に生まれた中田。幼い頃から北原白秋山田耕筰らの童謡に親しみ、東京音楽学校(現・東京藝大)へ進学するも、戦争の激化により陸軍へ志願、南方へパイロットとして配属される。この間、肌身離さず持ち歩き、繰り返し読んだのが西条八十編の童謡詩集。戦後の中田の生き方に大きな影響を与えた。『敗戦国日本で自分が出来ることは何か』。戦後、作曲活動を始めた中田はすぐに頭角を現し、昭和24年(1949)の『夏の思い出』の作曲で広く知られるようになる。
時代は変わるから 変わったものばかり追いかけると 本当のものを見失ってしまう 子どものために作った いい歌は日本にたくさんあるそういう歌も やっぱり子どもに聴かせないといけない」(「 NHK人物録」より)
三鷹で暮らしていたことで♪「めだかの学校」の曲はJR三鷹駅の発車メロディになっています。
▼「ちいさい秋みつけた」の歌詞に出てくるハゼノキは今、文京区の礫川公園に植えられています。
平成13年(2001)、サトウハチロー記念館跡地から、高さ1mほどの切り株の状態で移植されました。
現在は秋になると見事な紅葉を見せてくれます。そのハゼノキは、また、秋にでも礫川公園に行って書きます。
「ちいさい秋みつけた 歌碑」は「赤とんぼ」の三木露風の生誕地・兵庫県たつの市龍野町の童謡の小径にもあるようです。
▼「めだかのがっこう」の作詞は、茶木 滋(しげる)です。
♪めだかの学校の めだかたち だれが生徒か 先生か ♪だれが生徒か 先生か みんなでげんきに あそんでる
「すずめのがっこう」の、♪むちをふりふりと比較して、こうありたいと言われたりします。
▼「雪のふるまちを」は童謡ではないですが、とても好きな歌です。子どものころから、雪が降るとつい口ずさんでいました。
内村直也の作詞です。
 ♪  雪の降る町を 雪の降る町を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る町を 遠い国からおちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福の ほほえみ
「荒城の月も」どこのお城か議論されますが、この曲もどこの町かという議論が当初よくされたようです。
山形県鶴岡市には3つの歌碑があるようです。
山形県鶴岡市末広町1-1 JR羽越本線 鶴岡駅前 「 雪の降る町を」の 歌碑>
山形県鶴岡市馬場町4-4 鶴岡公園  「雪の降る町を」の モニュメント。>
山形県鶴岡市湯温海丁1 あつみ温泉 萬国屋 「雪の降る町を」 ゆかりの宿の碑>