英国人外交官アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡

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富士見坂 法政大学80年館前 アーネスト・サトウの碑

新見附橋から、靖国神社方面へ続く富士見坂を上り、法政大学80年館裏門にさしかかると、道路側に向いて銘板をはめ込んだ石碑があります。
この地が英国人外交官アーネスト・サトウ(1843〜1929)ゆかりの屋敷跡であることがサトウの功績とともに銘記されています。

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法政大学80年館が開館した昭和56年(1981)年3月に法政大学が建てたものです。
『一外交官の見た明治維新』などの著書で知られるアーネスト・サトウは、文久2年(1862)に英国駐日公使館の通訳(当初は見習い)として来日し、幕末から明治維新の動乱期にオールコック、パークス両公使を補佐しました。明治17年(1884)にいったん日本を離れますが、明治28年(1895)に駐日公使として帰任、明治33年(1900)まで滞在しました。
アーネスト・サトウは、明治8年(1875)2度目の帰国となるまでに通訳としての職務を果たす傍ら、武田兼(たけだ・かね)と正式な結婚ではありませんでしたが、2男1女をもうけています。(武田兼は、伊皿子の指物師の娘という説と、イギリス公使館などに出入りしていた植木職人・倉本彦次郎の娘とする説があります。)

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武田兼

アーネスト・サトウは家族のため、明治17年(1884)に麹町区富士見町4丁目6番地(当

時)の旧旗本屋敷を購入しました。そして、サトウ帰国後も一族はここで暮らし続けました。

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富士見坂上、左に白百合学園、右の塀の中が「靖国神社

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アーネスト・サトウ


アーネスト・サトウの日本滞在は、通訳官として文久2年(1862)から明治16年(1883)、そして駐日公使としては明治28年(1895)から明治33年(1900)まで。併せると、25年間、一時帰国はありますが、日本に滞在していたことになります。
武田兼とは入籍はしませんでしtが、子供らは認知して経済的援助を与えていました。
日本山岳会設立や尾瀬の保護に努めるなど日本を代表する植物学者として優れた業績を残した武田久吉(1883〜1972)は、次男です。
「サトウ」という姓は、当時スウェーデン領生まれドイツ系だった父の姓で、日本の『佐藤』とは関係ありません。
しかし、親日家だったサトウは、漢字を当てて「薩道」または「佐藤」と日本式に姓を名乗ったりしています。
本人も自らの姓が日本人になじみやすく、親しみを得られやすい呼び方だったことが、『日本人との交流に大きなメリットになった』と言っています。
武田久吉の娘、アーネスト・サトウが、ここの家について語った言葉があります。週刊朝日  平成26年(2014)9月5日号のインタビュー記事です。
「祖母と父が住み、私が生まれ育った家は、靖国神社の裏手にありました。祖父が祖母のために用意した家で、昔の旗本屋敷でした。
 冬は寒くて、とても住みづらい。だだっ広い木造の平屋で、天井が高くて、すごく太い梁がありました。和室ばかりでしたけど、なぜか一部屋だけじゅうたんが敷いてあり、椅子と丸いテーブルが置いてありました。祖父が日本にいたとき、その部屋で食事をしたのかもしれない。
 500坪の敷地には、池もありました。父が山からとってきた珍しい木や植物がたくさんあって、昆虫もいましたし、鳥も飛んできました。ほんとうに楽しい庭だったんです。
 でも、40年ほど前、相続税が大変で、泣く泣く手放しました。現在は、建物も池もなくなって、法政大学の図書館が立っています。
 今でも懐かしく思います。あの家が祖父からもらった宝物でした」
法政大学がこの武田邸を購入したのは昭和51(1976)年でした。
このインタビュー記事には、こういう言葉もあります。
「その後、祖父は各国に赴任し、晩年はイギリスで暮らしました。基本的に、祖父と家族は離れて暮らしていたのです。
ずいぶん前に、祖母の遺品を整理しようと段ボール箱を開けてみましたら、祖父から家族あての手紙が500通くらい出てきました。イギリスや赴任先の国からの手紙を、祖母はぜんぶとっておいたんです。」

なお、駐日英国大使館の桜並木はアーネスト・サトウが植樹を始めたものです。それが機縁で、千鳥ヶ淵が桜の名所になりました。

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英国大使館前の、アーネスト・サトウの桜の植樹の記念碑