昨年7月オープンした 新・飯田橋駅。「牛込駅の復活!?」

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昨年7月オープンした飯田橋駅西口駅舎

コロナ禍であまりあちこちに出かけていないうちに、まちの風景が変わっています。
飯田橋駅もそうでした。
飯田橋駅に新しい西口駅舎がお目見えしたのは、昨年(2020年)7月のこと。JR飯田橋駅で乗り降りしなかったです。
それまで、JR飯田橋駅のホームは急カーブ上にあり、電車とホームの隙間が大きく空いていて「都内で最も危険なホーム」と呼ばれていました。安全対策のため、ホームは200m市ヶ谷寄りに移設され、西口駅舎も新しくなりました。
牛込見附の橋から西口駅舎を見ると、とてもスマートです。駅前も広くなっています。

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サクラテラス側から見た牛込見附とサクラ

牛込見附の石垣まで来ると、桜が満開でした。花が小ぶりで、コヒガンですかね。
石垣との対比なかなかすてきです。飯田橋サクラテラスとの対比も大きく見えます。

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桜と植木の花を観て少し進むと、先にピザ店と薬局が建っています。そしてその角に外濠の土手に上がる場所です。
実は、そこあたりがJR中央線の前身・甲武鉄道の「牛込駅」があった場所に位置しています。

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かつて「牛込駅」があった場所

甲武鉄道の“甲”は甲州、武は“武州(武蔵)”、つまり、甲武鉄道は東京と山梨とを結ぶ目的で建設された私鉄でした。社名からもうかがえるように、本来なら甲武鉄道八王子駅から西進するはずでした。
しかし、八王子より西側は山が険しく、鉄道の建設は困難が予想されました。そこで、需要が見込める東京の都心部への進出を検討しました。しかし、新宿駅から都心部へ進出するには、外濠という大きな壁がありましたが、
甲武鉄道はこの外濠を利用して線路を敷設することにします。
明治22年(1889)4月に新宿 ー立川間、8月には 立川 -八王子間を開業します。
「牛込駅」は明治27年(1895)10月に新宿 ー牛込間の開通と同時に開業しています。
そして、翌明治28年(1896)4月に現在の水道橋駅に近い大和ハウス東京ビル付近に飯田町駅が開業します。
牛込駅と飯田町駅は近いですが、当時の電車は1両編成で、さして問題ではなかったようです。
明治37年(1904)8月に飯田町 ー中野間で電車の運行が開始します。
ところが、明治39年(1906)10月に甲武鉄道鉄道国有法によりに国有化になります。
そして、昭和3年(1928)に中央本線複々線化に伴い、牛込駅と飯田町駅を統合して、中間に飯田橋駅が開業し、牛込駅は廃止されました。

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外濠の土手から見ると、新しいホームがすぐ下にあった。

「牛込駅」があった場所から土手に上って、ホームを見ると、移設された新ホームがすぐ下にありました。
今回の工事はホームにおける利用者の安全性を向上させる目的でしたが、ホームが新宿側に200m寄ったことで、「牛込駅の復活!?」といった声も出ている、という記事が出ていましたが、なるほどと納得しました。