「市ヶ谷八幡宮水鉢台座」と「新見附橋東道路」の”几号水準点”

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市ヶ谷八幡宮境内 手水鉢

▼市ヶ谷八幡宮水鉢台座几号水準点
几号水準点という、漢字の「不」の字に似た記号があります。
これは、明治初期(明治初年からとも、明治7年、明治9年からとも)に高低測量を行うために設けた基準となる測量点です。
イギリス式の測量法に従って漢字の「不」に似た記号を石垣や門、神社仏閣の鳥居、灯篭、狛犬などの石造物、恒久的に残るであろうと思われるものに直接刻み込みました。
明治の初めは内戦も多く、陸軍が陣地設営のためにも地形の高低を知っておく必要があったからとも言われています。
しかし、この几号水準点と明治17年(1884)に陸軍の陸地測量部がドイツ式の測量方式を採用したため、遺物となってしまいました。
市ヶ谷駅、新宿区側の高台に鎮座する「市谷亀岡八幡宮」に、几号水準点があります。
ここの「几号水準点」は、以前は探しにくかったのですが新宿区教育委員会の案内板ができて、わかりやすくなりました。

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向かって左、水鉢台座の下方に「不」

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境内の「水鉢」の台座のところにあります。それも脇の見にくい位置です。
市谷亀岡八幡宮「几号水準点」の案内板を引用します。

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「 明治初期に、イギリスの技術を導入した内務省地理寮は、近代的な測量を開始し、東京を中心に、「不」の字に似た記号を用いた几号水準点を設置した。市谷亀岡八幡宮の几号水準点は、神社境内の水屋の水鉢台座の側面に刻んだもので、内務省地理寮による関八州三角測量が開始された明治8年(1875)頃に、刻印された。
現在台座の上には、昭和26年(1951)に八幡講によって奉納された水鉢が置かれているが、もともとは社務所前に置かれている、越前屋吉兵衛によって奉納された水鉢とセットであったと推定される。
「江戸名所図会」(天保五・七年刊行、1834・1836年)には、現在と同じ位置に水屋が描かれており、また「東京実測図」(明治20年、1887年)に記された標高(水準点94.8尺、約28.7m)が現在とほぼ変わらないことから、水準点の位置が、設置当初から移動していないことが分かる。市谷亀岡八幡宮の几号水準点は、設置当初の場所の位置する希少な几号水準点で、保存状態も良好である。近代土木史上、貴重な文化財である。
平成29年3月30日 新宿区教育委員会

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市ヶ谷八幡宮から外濠を望む。高い位置にある。

「几号水準点」は、東京にも50箇所近く残っているようです。
恒久的に動かない場所にということで付けられたのですが、時代とともに結構動かされています。
近くの「市ヶ谷見附」の石垣の一部にも「几号水準点」が刻まれていたのですが、明治時代に取り壊された際に日比谷公園に移されました
この石は烏帽子岩と呼ばれる大きなそれこそ烏帽子の形をした石で、みごとだったので、持って行かれたのでしょう。
日比谷公園の南東側にある幸門を入って直ぐ左手の植え込みに「烏帽子石」と呼ばれて飾られています。
▼新見附橋東 「几号水準点」

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新見附橋の東。先は新見附橋。左右が外濠公園。手前の道に几号水準点。

少し飯田橋の方へ進むと、外濠をまたぐ新見附橋あがり、その東詰、千代田区側の歩道上に水平に埋め込まれた几号水準点があります。

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水平面の几号というのあるのですね。
水平に埋め込まれた几号水準点は、もともと垂直面に刻印されたものが後年、敷石などに流用されたため水平面刻印のようになってしまったケースと、独立した標石で水平面刻印になっているケースがあるようです。
新見附橋のたもとの水平面「几号水準点」は、移されてきたのでしょうか。
水平面に刻印したものは内務省地理局発行の五千分一「東京実測図」には明示されていないとのことで、どのように使おうとしたかわかっていません。ちなみに、新見附橋は、明治28年(1895)に、甲武鉄道で飯田町駅を造られた時できた橋です。
近くに外濠公園が公園になった「東京市 外濠公園」と記された遺構もあります。

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左側から「東京市 外濠公園」と記されている。

外濠は、昭和2年(1927)8月31日に、牛込駅から新見附の間を外濠公園として開放されました。