旧中山道の立場(たてば)「巣鴨庚申塚・猿田彦大神」と「延命地蔵尊」

f:id:ktuyama:20210528172843j:plain

中山道(現巣鴨地蔵通り)を行くと折戸通りの交差地に、「巣鴨庚申塚・猿田彦大神」があります。都電荒川線の庚申塚駅の近くです。
巣鴨庚申塚・猿田彦大神 豊島区巣鴨4-35
巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場(たてば)として栄え、旅人の休憩所として茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。
その様子は「江戸名所図会」にも描かれています。

f:id:ktuyama:20210528172918g:plain

江戸名所図絵 巣鴨庚申塚

「江戸名所図会」のなかの茶店の屋根の葭簀(よしず)の上に見える石塔は、庚申塚のいわれを裏付けるものです。現在、この石塔は当地の小さな社に鎮座しています。その銘文によれば明暦3年(1657)に造立されたものということです。これより以前、文亀2年(1502)に造立されたといわれる石碑がありましたが、「遊歴雑記」によると、この塚の下に埋められているとされています。

f:id:ktuyama:20210528173140j:plainf:id:ktuyama:20210528173230j:plain

この庚申塚には、猿の像が迎えてくれますが、これは、この巣鴨近辺の有志が、明治初期、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神分祀したことによります。
現在、庚申堂に猿田彦大神を合祀しています。これは、巣鴨近辺の有志が、明治初期、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神分祀したことによります。猿田彦大神は日本神話に登場する神様で、天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされています。
現庚申堂は昭和51年(1976)の再建です。

f:id:ktuyama:20210528173450j:plain

巣鴨庚申堂

▼江戸時代の中山道巣鴨庚申塚付近には、巣鴨町近辺で行き倒れた人馬の共同墓地がありました。
そして、その墓標として延命地蔵が建立されていました。以来、さまざまな供養塔が集まって、現在も祀られています。

f:id:ktuyama:20210528173557j:plain

延命地蔵  西巣鴨2-39-5

f:id:ktuyama:20210528174054j:plain

 「題目塔」と「徳本名号塔」と左に「延命地蔵塔」の部分

中山道街道筋での横死者や辻斬りの犠牲者、長旅に疲れ行き倒れになった人や馬の供養のために元禄11年(1698)に建立されたものと伝えられます。当時は中山道を通行する旅人が巣鴨庚申塚で必ず一休みしましました。
延命地蔵尊は、かつて現在の都電庚申塚駅の場所にありましたが、明治44年(1911)、王子電気軌道(現都電「荒川線」)の停車場建設により移転されました。その後、現位置に再移動し、大正期に参道とお堂が整備されました。
移転の際、延命地蔵の下から、人や牛馬の骨が入った大きな桶に3~4杯も出てきたといいます。
昭和20年(1945)4月13日の空襲により、延命地蔵堂のすべての石造物が大きな被害をうけました。
終戦後、土地の守り地蔵尊として信仰されている延命地蔵を再興するため昭和35年(1960)に地元住民による奉賛会が発足し、毎年8月24日に法要が行われています。
徳本名号塔(とくほんみょうごうとう)
丸みを帯びた独特な書体で「南無阿弥陀仏」と刻まれた石塔です。江戸時代後期に、日本各地に足を運び、念仏を伝え歩いたことで知られる徳本上人が書いたものです。
題目塔(だいもくとう)
中央に「南無妙法蓮華経」、その左右に「大摩利支尊天」「北辰妙見大菩薩」を配置する三尊形式をとっています。塔の正面に「加越能佳人」「為道中安全」とあることから、北陸と江戸を結ぶ街道として中山道を往来した者が建立したのではとされています。

f:id:ktuyama:20210528175302j:plain

延命地蔵塔と奥に2つの地蔵塔


延命地蔵(えんめいじぞうとう)

f:id:ktuyama:20210528174502j:plain

延命地蔵

f:id:ktuyama:20210528194706j:plain

延命地蔵塔」と「御題目塔」

延命地蔵塔の前からと左右からの写真を見てもらいました。
角柱型の安山岩に、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持つ半跏座像の地蔵が浮彫されています。傷みが激しく、建立年代等を知ることはできませんが、地蔵堂の形式などから、江戸時代初期のものであろうと推定されています。

f:id:ktuyama:20210528174752j:plain

徳本名号塔(右)と馬頭観音塔(左)

地蔵像庚申塔(じぞうぞうこうしんとう)
上部に日・月があり、中央に地蔵菩薩立像、その下に三猿が描かれていたと明治の記録にあります。その記録によると、地蔵像の右に「是より小石川おたんす町之ミち」、左に「元禄拾一年戌寅四月十六日 諸願成就」の銘があったととのことです。
馬頭観音(ばとうかんのんとう)(写真の左側)
台座前面の銘は一部欠損していますが、もとは「馬頭観世音」とあったとみられます。側面には「巣鴨」「願主 馬口藤三郎」とあり、巣鴨の住民が建立したものとみられます。
こういう風な、歴史の風雪を染みこませたような、遺構が、その先にあることも、巣鴨とげ抜き地蔵商店街を魅力を打ち出していると思います。