武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲「花」

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墨田公園の「花」の歌碑

言問橋のたもとの隅田公園に、文部省唱歌「花」の歌碑があります。
武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲「花」。
♪春の うららの 隅田川
 のぼり くだりの 船人が
 櫂(かひ)の しづくも 花と散る
 ながめを 何に たとふべき

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文部省唱歌「花」は明治33年、東京音楽学校(現、東京芸術大学)教授の武島羽衣と、同校の助教授であった滝廉太郎により作られました。
滝廉太郎がこの「花」を作曲したのは、明治33年(1900)、21歳の時です。「花」完成の3年後に明治36年24歳の短い生涯を閉じています。
滝廉太郎は、この「花」で、日本で初めて西洋音階「ドレミファソラシ」のすべての音を使うことに成功しました。
また、3節の詩に付けた旋律と伴奏が単なる繰り返しではなく、物語のように展開されていています。
幕末から明治維新にかけ、ようやく西洋音楽が日本に持ち込まれたと言われます。
武島羽衣は、日本女子大学で教鞭をふるい、昭和42年94歳で没したそうです。
歌碑に刻まれているのは武島羽衣の自筆の文字です。
武島羽衣が歌碑建立を望んでいることを知った教え子が、昭和31年(1956)11月3日(除幕式)に、84歳の誕生日を記念して建てました。
歌碑は「すみた河」のように、すべての獨点が省かれています。歌詞は旧仮名使いのままを希望しました。

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墨田公園は、大正12年(1923)の関東大震災により、壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として、後藤新平の主導により浜町公園(中央区)、錦糸公園(墨田区)と並んで計画・整備された公園です。
隅田川沿いの桜は、春になると美しく咲き、変わることなく私たちを喜ばせてくれます。この桜は、四代将軍徳川家綱が現在の茨城県桜川村から桜を取り寄せて、木母寺付近に植えたのが始まりで、八大将軍吉宗がさらに植桜を行い、その後も手が加えられ、現在は両岸で約千百本にもなり、桜の名所になっています。

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隅田公園の「千年桜」7月撮影

また、この歌碑のすぐ近くには、「千年桜」があります。これは、三春滝桜の子孫木を墨田公園の”シンボルツリー”として守り、育て、次の世代へ受け継いでいくプロジェクトを推進しています。