2021-01-01から1年間の記事一覧

文京区「播磨坂」の桜並木

茗荷谷駅から春日(かすが)通りを右へ進むと、大きな交差点にぶつかります。そこが播磨坂です。戦後の区画整理でできた「環状3号線」の一部として整備された時、江戸時代、この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられたと言われます。松…

コロナ禍の代々木公園の桜

代々木公園、青い空と桜 代々木公園の所在地は、陸軍の代々木練兵場でした。第二次世界大戦での日本の敗戦後にはワシントンハイツとなり、昭和39年(1964)の東京オリンピックで代々木選手村として一部が使用されました。その後再整備され、昭和42年(1967)…

「新宿ワシントンホテル」の「韋駄天尊」と「蛯子稲荷大明神」

▼西新宿の都庁の隣り「新宿パークタワー」あたりは、江戸時代から明治にかけて、『梅屋敷銀世界』と名付けられた梅園でした。その様子をしるには、歌川広重(2代目)が、慶応3年(1867)に『梅屋敷銀世界』を描いた「絵本江戸土産第10編 『四谷新町』」(…

昨年7月オープンした 新・飯田橋駅。「牛込駅の復活!?」

昨年7月オープンした飯田橋駅西口駅舎 コロナ禍であまりあちこちに出かけていないうちに、まちの風景が変わっています。飯田橋駅もそうでした。飯田橋駅に新しい西口駅舎がお目見えしたのは、昨年(2020年)7月のこと。JR飯田橋駅で乗り降りしなかったです…

与謝野鉄幹・晶子 麹町区の暮らしから。

「与謝野鉄幹 晶子 居住跡」の碑です。大正4年(1915)与謝野鉄幹・晶子は、麹町区中六番町から麹町区富士見町へ転居しています。その前後のことを年表で拾ってみます。明治32年(1899)(鉄幹26)11月~明治34年(1901)4月 麹町区上六番町45番地(千代田…

六番町を東西に伸びる番町文人通り

番町文人通り 六番町を東西に伸びる番町文人通りは島崎藤村、泉鏡花、有島武郎、菊池寛、藤田嗣治など多くの文化人が住んだ歴史ある通りです。現在では閑静な高級住宅街で、瀟洒な低層マンションがいくつも並び、その道沿いにはかつての文人たちに想いを馳せ…

「番町」の歴史を嗅ぎ取る。

江戸の「番町」を記した切り絵図です。すべて名前が載っています。大番組の旗本だったからです。千代田区の「番町」エリアは皇居の西南に位置し、高級マンションが建ち並ぶ住宅地です。江戸時代の旗本のうち、将軍を直接警護するものを大番組と呼び、大番組…

麹町の藤田嗣治(旧居)と佐伯祐三(墓)

麹町六丁目 安政3年(1856)の古地図 江戸時代の古地図で言えば、四谷見附から麹町に入るとすぐ左に、成瀬隼人正の上屋敷があります。現在で言えば、四ッ谷駅の麹町口を出て、道を渡るとすぐ、ということになります。成瀬隼人正は、代々尾張徳川家の付家老…

亀戸天神社の「おいぬさま」

亀戸天神社にある「おいぬさま」 亀戸天神社の御嶽神社の裏、亀ヶ井の碑があるところの右に、塩にまみれた「おいぬさま」を祀る小祠があります。案内はないですが、この「おいぬさま」に塩をかけて祈願すると祈願成就するということです。塩をつけるのは、お…

「亀戸」の地名由来と「亀ヶ井」

嘉永四年(1851)刊行・近吾堂板「本所・猿江・亀戸村辺り絵図」(部分) 「亀戸」という地名を「かめいど」と読むのは、はじめての人だと難しいかもしれません。この地名の由来には諸説ありますが、基本的なものは下記の説です。1)昔はこのあたりは海に浮…

亀戸天神社の北東にあった、梅の名所「亀戸梅屋敷」。

歌川広重の描いた「東都名所亀戸梅屋舗全図」です。 江戸時代、亀戸天神社の北東に3000坪の広さの「亀戸梅屋敷」と呼ばれた梅の名所がありました。残念なことに、明治43年の洪水により廃園となり、今は梅の木も何も残っていません。 亀戸梅屋敷跡の案内 浅草…

亀戸天神社と梅。

亀戸天神社本殿 亀戸天神社は、学問の神様として敬われる菅原道眞を奉祀する神社で、下町の天神さまとして広く知られ、一般には亀戸の天神さま、亀戸天満宮と呼ばれ親しまれています。本社の九州太宰府天満宮に対し、東宰府天満宮や亀戸宰府天満宮と称されて…

新宿から移って来た芝公園の梅「銀世界」。

芝公園の「銀世界」の梅 西新宿・超高層ビル群の初台寄りに、都庁と同じく丹下健三設計の新宿パークタワー(52階)が建っています。江戸時代から明治にかけて、ここには『梅屋敷銀世界』と名付けられた梅園がありました。園内は広く、梅が林をなし「将軍御目…

上野東照宮 の『ぼたん苑』で「冬ぼたん」鑑賞と「旧寛永寺五重塔」を望む。

上野東照宮の鳥居 上野東照宮は、徳川家康を祀る神社として、寛永4年(1627)に建立され、現在の建物は慶安4年(1651)に徳川家光によって造営されたものです。戦災や震災にも耐え現在に至っています。その境内に、昭和55年(1980)日中友好を記念して開苑…

西條八十の童謡 ♪ 唄を忘れた金絲雀(かなりや)は 

不忍池のほとり、弁天堂の近くにある「かなりや」の詩碑 上野公園の不忍池弁天堂の参道近くに西條 八十作詞の童謡「かなりや」の詩碑があります。西條 八十は、明治25年(1892)牛込区牛込払方町(現在の新宿区払方町)で生まれました。実家は大久保周辺に土…

内田百閒の千代田区五番町・六番町の住まい

屋敷があったあたりの前の道から外濠の土手の方を望んで見た。 随筆『阿防(あほう)列車』で知られる内田百閒は、明治22年(1889)に岡山市に生まれました。本名は內田 榮造です。明治44年(1911)に、病気見舞いに行った夏目漱石に弟子入りしています。千…

新宿で歌碑になった、藤圭子の歌。『新宿の女』『圭子の夢は夜開く』

新宿を舞台にした歌謡曲はどんな曲があるだろうと、気にしていたら、昨年(2020年)10月、「武田鉄矢の昭和は輝いていた 街を彩った歌謡曲~魅惑の新宿」という番組がありました。 その番組で取り上げられた曲を列挙してみます。松山まさる(五木ひろし)「…

ピアノの形の歌碑 「ちいさい秋みつけた」

井の頭公園にピアノを模した歌碑があります。 童謡「ちいさい秋みつけた」の歌碑です。 歌碑には「ちいさい秋みつけた」の歌詞と楽譜も刻まれています。平成25年(2013)生誕90周年記念に、130名以上を超す方から170万円の寄付を集め、に建てられました。「…

滝廉太郎旧居跡と「荒城の月」

新宿通り麹町一丁目の交差点を靖国神社方面に向かうと「滝廉太郎の居住跡」という柱の横に、廉太郎のレリーフと、御影石に「荒城の月」の楽譜が描かれた碑が建っています。袖摺坂と五味坂が交差する地点です。ただ、滝廉太郎実際の家は、碑が立つ交差点から西…

まさかりかついで きんたろう  「金太郎」はどこにいる。

神楽坂を本多横丁を抜けて大久保通りに出ると、筑土八幡神社があります。嵯峨天皇の時代(809年 - 823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源と言われる古い神社です。元和2年(1616)には、それま…

童謡『赤蜻蛉(あかとんぼ)』は三木露風の幼年期の思い出

赤とんぼの碑 童謡『赤蜻蛉(あかとんぼ)』は三木露風作詩。山田耕作作曲です。作曲の山田耕作をたたえての「赤とんぼ」の碑は、「からたちの花」の碑とともに秋川の西多摩霊園にあります。作詩の三木露風をたたえての「赤とんぼ」の碑は、三鷹駅の南口を出…

童謡『たきび』の歌発祥の地を歩く

西武新宿線新井薬師前駅の南、上高田3丁目にひときわ目立つ竹の垣根を持つお屋敷があります。♪かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき その垣根の場所が、童謡『たきび』の歌発祥の地です。『たきび』は、作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂に…

童謡「春の小川」のモデルと言われる「河骨川」の暗渠を歩く

春が来たら歩いてみようと思っている童謡「春の小川」のモデルと言われる「河骨川(こうほねかわ)」の暗渠を確認しに出かけました。河骨川は、渋谷川の源流の一つで、渋谷川に集まる前に渋谷駅近くで、宇田川に合流しています。江戸は水の都だったと言われ…

このブログの最初のご挨拶。

これまでもいろいろブログをやってきましたが、どのブログも満杯になってしまい、それで、しばらくブログをやめていましたが、ぼんやりしてしまうので、再開してみたいなと、いろいろ探して、このブログにたどり着き、最初の記事を書いています。 テーマは、…