2021-01-01から1年間の記事一覧
墨田公園の「花」の歌碑 言問橋のたもとの隅田公園に、文部省唱歌「花」の歌碑があります。武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲「花」。♪春の うららの 隅田川、 のぼり くだりの 船人が 櫂(かひ)の しづくも 花と散る ながめを 何に たとふべき 文部省唱歌「花」は…
浅草神社の「夏詣」、鳥居の飾り 浅草に行きました。浅草神社にお参りすると、「夏詣」というイベントをやっていました。6月30日・7月1日から7日までです。「夏詣」、どういうことかと思ったら、正月の「初詣」に対して、半年後には「夏詣」をしましょう…
白山神社の鳥居とあじさい 約3,000株の多様なあじさいが白山神社の境内から白山公園にかけて彩る「第37回文京あじさいまつり」は、緊急事態宣言中で、令和2年に続き、今年も中止になりました。まつりの時は公開される富士塚も閉じられていました。そのかわり…
大円寺「本堂」と「観音菩薩像」と左手前に「子育て地蔵尊」 大円寺は曹洞宗のお寺で、山号は金龍山。開山は上州茂林寺十二世久山正雄大和尚、開基は石河土佐守勝政。本尊は聖観世音菩薩です。神田柳原に慶長2年(1597)創建、当地に移転したのは慶安2年(16…
大円寺は慶長2年(1597)の開創で、はじめ神田柳原にありましたが、慶安2年(1649)現在地に移り、それから「駒込の大円寺」と呼ばれています。墓域には、幕末の先覚者であり砲術家の高島秋帆、明治時代の小説家・評論家の斉藤緑(1868~1904)の墓がありま…
白山権現(神社)付近の切り絵図 「八百屋お七の墓のあるお寺」圓乗寺に行きました。圓乗寺は文京区白山1丁目34番地にある天台宗の寺です。(切り絵図は「円乗寺」です)。寺伝によると、圓乗寺は、圓栄法印が天正9年(1581)本郷に密蔵院として創建したの…
旧中山道(現巣鴨地蔵通り)を行くと折戸通りの交差地に、「巣鴨庚申塚・猿田彦大神」があります。都電荒川線の庚申塚駅の近くです。■巣鴨庚申塚・猿田彦大神 豊島区巣鴨4-35 巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場(たてば)として栄え、旅人の休憩所として茶店も…
高尾太夫の墓の前の腕が欠けてしまっている猫は、高尾太夫でなく、同じ吉原の三浦屋の薄雲太夫ゆかりのものです。 月岡芳年の「薄雲太夫」 薄雲太夫は「玉」と名付けた三毛猫をとっても可愛がっていて、いつも行動をともにしていました。花魁道中にもその玉…
西方寺の門を入ると、 西方寺は白山通り、都営三田線の西巣鴨駅の近くに(豊島区西巣鴨4-8-43)あります。浄土宗のお寺で、元和8年(1622)浅草聖天町に建立されました。吉原の近くで、三ノ輪の浄閑寺ともに遊女の投込み寺でもありました。関東大震災で焼け…
西巣鴨の荒川線の庚申塚駅から栄和通りを歩いて白山通りを横切ると「お岩通り」になります。この先に、四谷怪談で知られるお岩さんの墓がある「妙行寺」があります。「お岩」は、四谷怪談のお岩さんです。妙行寺は、麹町清水谷に創建され、寛文元年(1624)に…
赤坂の繁華街、一ツ木通りに、お寺が2つ残っています。赤坂不動尊威徳寺と浄土寺です。その浄土寺のお地蔵さんの話です。浄土寺は浄土宗のお寺で、文亀(1500年頃)のころ江戸城内平川口の地に創建し、寛文5年(1665)一ツ木通りの当地へ移転して来たと言わ…
常圓寺 日蓮宗寺院の常圓寺は、新宿の高層ビル群から道一つ隔たったところにある日蓮宗のお寺です。 本堂を右に回りこむと墓地入り口に「淀橋七地蔵」の石柱が立っています。線彫りの子供が7人何やら話し合っているような図です。子安地蔵の供養碑を挟んで…
「成子坂下」先は神田川の淀橋。開発はまだ続いています。 再開発によって街がすっかり変わっても、それによって所在の位置は異動しても「淀橋咳止地蔵尊」のように残るお地蔵さんがあります。また、周りはすっかり変わって行っても、ほぼ同じ場所に止まって…
10年少し前ごろです、大きく開発された北新宿に残った「淀橋咳止地蔵尊」のお堂が中央に見えています。新宿駅西口は、淀橋浄水場跡地が、昭和46年(1971)年の地上47階建て、高さ147メートルの「京王プラザホテル本館」を皮切りに新宿副都心として開発され、…
亀戸三丁目にある「普門院」の入り口。左に「伊藤左千夫の墓」の石柱があります。 亀戸天神社の近く、亀戸3丁目に、大きな自然体の「普門院」があります。自然体というのは、住職もだれもいなくなったお寺のように、樹木が生い茂っているという意味です。で…
錦糸町駅界隈 広い公園・錦糸公園 錦糸町駅に下りてみました。昔、映画を見に何度か来たことがありますが、そのころは、いわゆる下町風のごたごたした、賑やかさがあった。今は、すっきりとした都会になっています。亀戸周辺と共に東京都により「東京副都心…
重要文化財 旧江戸城写真帖「常盤橋門」東京国立博物館蔵 常盤橋門は、江戸五口のひとつ奥州道の出口で、江戸時代を通して江戸城の正門である大手門へ向かう外郭正門でした。寛永6年(1629)に設置され、江戸城外郭の正門として重要な役割を果たしていました…
太鼓橋(男橋)と藤棚の藤と見学の人たちと 亀戸天神社では、2021年も、4月17日の土曜日から5月5日まで「藤まつり」が開催されます。例年だと夜間にライトアップされるようですが、コロナ禍でそれは中止のようです。ただ、今年は藤の開花が、例年より2週間も…
亀戸香取神社 亀戸駅から行けば、亀戸天神社より少し手前に鎮座する、参道に商店街を持つ神社が亀戸香取神社です。社伝によれば天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国に下向した際、香取神宮の御分霊を勧請したことに始まります。藤原秀郷が平将門追討の際に戦勝…
新宿区の弁天町にある、宗参寺へに行きました。宗参寺は、天文12年(1543年)に没した牛込重行(法号:宗参)の墓所を、息子の牛込勝行が造ったことに始まります。宗参寺の「宗参」は牛込重行の法号から来ています。墓地には、東京都史跡に指定されている「牛…
長安寺境内にある火防地蔵の堂宇 長安寺は新宿区の信濃町にある浄土宗のお寺で山号は深谷山。外苑東通り左門町信号を西に入ったところです。長安寺は、天正15年(1587)心蓮社利貞上人が市谷本村町に創建。市谷本村町が尾張徳川家の御用地とされたため明暦2…
新宿区新宿二丁目にある浄土宗の成覚寺は、文禄3年(1594)の創建です。内藤新宿の飯盛女(遊女・子供ともいう)が死ぬと、この寺に葬られたことから「投げ込み寺」とも呼ばれます。今回は、お地蔵さん巡りで訪れました。門を入るとすぐ左側に旭地蔵がありま…
市ヶ谷八幡宮境内 手水鉢 ▼市ヶ谷八幡宮水鉢台座几号水準点几号水準点という、漢字の「不」の字に似た記号があります。これは、明治初期(明治初年からとも、明治7年、明治9年からとも)に高低測量を行うために設けた基準となる測量点です。 イギリス式の…
新宿の角筈から西参道を南に進みます。右手側にはかつては大きな土佐藩藩主だった・山内家がありました。今は、代々木3丁目で、マンションなどが密集していますが、明治から大正にかかては、代々木というこの地区は水田や、畑などが拡がり、武蔵野を代表す…
小石川の林泉寺にある「縛られ地蔵」 「お地蔵さん」めぐりもしてみたいと思っています。茗荷谷駅の近くの林泉寺は、慶長7年(1602)伊藤半兵衛長光の開基、通山宗徹を開山として創設された曹洞禅宗のお寺です。初めは普蔵院と号しましたが、寛文3年(1663)…
富士見坂 法政大学80年館前 アーネスト・サトウの碑 新見附橋から、靖国神社方面へ続く富士見坂を上り、法政大学80年館裏門にさしかかると、道路側に向いて銘板をはめ込んだ石碑があります。この地が英国人外交官アーネスト・サトウ(1843〜1929)ゆかりの屋…
靖国神社の方から田安門の方にわたる歩道橋のそばに、桜が咲いていました。 歩道橋のそばに手に取るようにあった桜 その歩道橋から高燈籠ごしに牛ヶ淵の方を見ると、工事中がみえました。 歩道橋から高燈籠越しに牛ヶ渕の方を望むと工事の様子 田安門橋から…
田安門から眺めた千鳥ヶ淵 徳川家康が、江戸入府したのは天正18年(1590)。相当数の家臣団を伴うため、まず飲料水確保が重要課題でした。そこで、家康がとった策は、江戸城の周りの小河川を堰き止め飲料水用ダム建設でした。それが千鳥ヶ淵と牛ヶ淵です。名前…
歩道橋の奥が靖国神社で,左に見えている銅像は「子爵品川弥二郎卿像」です。 田安門前に立つ靖国神社の高燈籠(たかとうろう)です。和洋折衷の不思議な建物です。明治4年(1871)に靖国神社(当時は東京招魂社)の前に、靖国神社に祭られた霊のために建て…
「小石川植物園」満開の桜 「小石川植物園」と呼ばれていますが、正式な名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園本園」です。元々は、江戸幕府により薬になる植物を育てる目的で、貞享元年(1684)に開園された小石川御薬園です。江戸幕府は、人口が増…